人気ロックバンド「RADWIMPS」が今年も3月11日に新曲は発表し話題になっています。
2020年に公開されたのは「世界の果て」という曲で震災から9年が経ち、今年は新型コロナウイルスで危機的状況になってしまっていますが、今の空気感を混ぜて洋次郎さんの思いがつまっている曲になっています。
そこで今回はRADWIMPSの新曲「世界の果て」の歌詞の意味を考察してみました。
RADWIMPS『世界の果て』の歌詞の意味を考察
まず、この曲中で何度も使われている言葉「ワンダーランド」は、
「楽しい・おとぎの国」といった意味ではなく、「天国」という意味なのであろうと解釈しました。
「ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を」
という部分では、
この大きな波に襲われても生き続けることは不可能であるけれど、
「短い一秒」=「すぐに」またあなたに会いたいという深い家族や友人、
恋人などの愛を感じることができます。
「時が経つに連れて徐々に水底にゆっくりと沈んでいくかのように君の顔もおぼろげになっていってしまうのはなぜ」
という部分では、
東日本大震災が起こってからもう9年が経った今、震災のことを色鮮やかに思い出せなくなっている人が多く、3月11日が来るまで震災のことを忘れてしまっている人がいることを表しているのだと思います。
「この世界の淵から一、二の三で飛ぶから 腕を振ってよ力の限り」
という部分で
この曲の中の「君」はもうすでに「ワンダーランド」=「天国」に行ってしまっていて「僕」は「君」に会うために後追い自殺をしようとしているのではないか。
と、解釈しました。
なので既に天国にいる「君」に天国の場所を教えてもらっているのではないかと思いました。
「海風にかき消されない 波に飲み込まれない一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ」
という部分では、
「君」の体は津波に飲み込まれて亡くなってしまっったけれど、
そのときの「君」の声は今でも鮮明に覚えていて、その声を頼りにして「僕」の命を使って「君」に会いに行くよ というのを伝えたいのだと思います。
この曲のミュージックビデオでは「いつもの街並み」の写真が使われています。
しかし、曲の終盤になるにつれて映像が乱れて揺れてきています。
これはいつも過ごしている街が震災によって急に姿を変えてしまい、
「当たり前の日常」が突然にして当たり前ではなくなってしまうことを表しているのだと思います。
また、ミュージックビデオと同じように歌詞の
「さてさて 最後の晩餐は何にしようかとか呑気に言ってられないよな」
という部分も最後がいつ来るのかは誰にも予想できなくて当たり前の毎日が一瞬にして当たり前ではなくなってしまうことを伝えたいのだと思いました。
それに合わせて曲が3分11秒で突然終わること。
これもまた事前に予期できぬ災害に対する恐怖を表しているのだと思います。
この曲を通してRADWIMPSは過去にあった東日本大震災のような恐ろしい災害はいつ起きるか予想できない。
だから同じ悲劇を二度と繰り返さないように誰もがこのことを忘れずに備えることが大切であるということを伝えているのだと思いました。